Last Updated on 2024年11月20日 by HaidarAli
近年、「気候訴訟」もしくは「気候変動訴訟」と呼ばれる種類の訴訟が注目を集めています。気候訴訟は、司法の場において政府や企業の気候変動対策のあり方を問うことで、社会全体に多大な影響を及ぼす可能性があります。
本記事では、気候訴訟の内容や注目すべき判決、今後の動向などについて紹介していきます。
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気候訴訟とは?
定義
気候訴訟は、「国内あるいは国際的な行政・司法的機関が審理する、気候変動に関する温室効果ガスの排出削減等の「緩和(mitigation)」と、気候変動による影響に備え新たな気候条件に順応していく「適応(adaptation)」、あるいは気候変動の科学に関する法や事実をめぐる訴訟」と定義されます。[1]
つまり、気候変動による被害やそのおそれを理由として訴訟を提訴することで、実質的に気候変動対策や気候正義のあり方について、政治の場ではなく、司法の場において議論しようとするものと言えます。このような気候訴訟は、近年になってその数が急増しています。
背景
気候訴訟が近年になって急増している背景には、いくつかの要因が考えられますが、ここでは気候変動による被害の現れ、気候変動対策の遅れ、気候科学の発展という三つにまとめて説明します。
気候変動による被害の現れ
気候変動の被害は、経済途上国を中心に既に現れています。洪水、干ばつ、熱波、バッタの大量発生などは、気候変動による影響が一因であると言われています。
その中で、ペルーの農民が氷河の融解による被害のおそれを理由として提訴をするなど、実際の被害者による訴訟が起こされています。
気候変動対策の遅れ
気候変動対策は、IPCCの1.5℃特別報告書で示された2030年までのGHG排出半減、2050年までのGHG排出実質ゼロが世界全体での目標とされますが、コロナ禍以前の2019年まではGHG排出は増加傾向にありました。[2]また、現状の各国が掲げるGHG削減目標や政策では、2.7℃の気温上昇が起こることが予測されています。[3]
このような状況に対し、環境NGOや一般市民が危機感を抱くことが、気候訴訟を提訴するきっかけとなっている面があります。
気候科学の発展
気候科学が発展することで、訴訟において必要になる被告の行為と被害の発生の因果関係の説明が容易になりつつあります。気候変動は、様々な人間活動によるGHG排出によって地球温暖化が起こり、それを一因とする気候変動によって被害が発生するため、実際のGHG排出行為と何かしらの被害を科学的な因果関係として説明することが非常に困難です。しかし、イベントアトリビューションなどの技術の発展により、個々の気象現象とGHG排出の関係性をより精緻に説明することができるようになっています。気候科学の発展は、IPCCの報告書が徐々に踏み込んだ表現を用いるようになっていることからも伺えます。
経緯
気候訴訟は、もともとはアメリカ、オーストラリア、西欧において活発に提訴されるものでした。しかし、前述のような状況の変化やパリ協定の締結、後述するオランダのUrgenda訴訟といった法的モメンタムが影響し、2015年以降に訴訟が世界全体に広まり、件数が急増したという経緯があります。具体的な数としては、2020年5月31日時点で、1,841件の訴訟が世界全体で起こされていますが、それらの訴訟のうち、1,006件の訴訟が2015年以降に起きています。[4]
なお、気候訴訟の多くがアメリカで提訴されており、1,841件のうち、1,387件がアメリカ国内の裁判所に提訴されています。[4]
件数・種類など
提訴先
気候訴訟は、各国内の司法機関・準司法機関だけでなく、条約に基づいて設置される国際的な司法機関に対するものもあります。
原告(アメリカでの訴訟を除く)
原告としては、実際に被害を受ける個人、環境NGO、またはその両方が原告となる場合が半数強を占めています。個人が原告となる場合、将来的な被害を訴えて学生などの若年層が原告となることも少なくありません。また、その他は企業や政府による提訴が占めています。[4]
被告(アメリカでの訴訟を除く)
気候訴訟の76%は、政府を被告とするものです。それ以外については、企業や著名な個人に対するものがあります。[4]
地域
UNEPが2023年に公表した報告書では、2022年末で全体2,180件のうち、アメリカで1,522件、その次にオーストラリア(127件)、イギリス(79件)、ドイツ(38件)と続きます。
このように、現在でも欧米などでの訴訟が多いことが分かります。しかし、アメリカを除いた件数で見ると、全658件のうち17.2%がグローバルサウス(主に南半球にある経済途上国の総称)で起こされており、経済途上国での訴訟も必ずしも少なくありません。[5]
内容
既に企業に対して起こされている訴訟で主張される内容は、GHG排出削減、気候変動法規則の支持、危害をもたらしうる活動の抑制、情報公開と分類する分析があります。[6]これ以外にも様々な報告書で分類が行われていますが、どのような分類であっても、対策の強化、損害賠償、グリーンウォッシュの停止、公正な移行などの多岐に渡る内容が訴訟で扱われていることが述べられています。
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重要な気候訴訟の事例
Urgenda対オランダ政府事件
オランダにて環境団体であるUrgendaが政府を相手取った訴訟において、画期的な判決が出たことで、大きな注目を集めた訴訟です。[7]
当時のオランダ政府が定めていたGHG削減目標を、後からEUが定めた目標に沿って引き下げたことに対し、Urgendaとその他の市民が原告となって目標の引き上げを求めました。この訴訟は2013年に提訴され、2015年に地裁で、原告の主張を認める判決が出されました。その後の高裁、最高裁でも、地裁と同じように政府の目標引き上げを求める判決が出されたのです。
このような判決を導いた論理(正確には法理論)として重要な点は、気候変動の被害が具体的な問題であるとしたこと、全体の排出量の中で占める割合が少なくとも責任があるとしたこと、裁判所が国に対して削減目標の命令を出しても国の裁量を侵害しないとしたことなどがあります。気候変動の原因と被害は、一般的に裁判で扱われるような内容よりも間接的なものであり、法的な難しさがあります。しかし、このような論理が判決として出されたことにより、原告の主張が認められる余地が大きくなったのです。
日本国内の気候訴訟
日本国内では、5件の気候訴訟が提訴されています。
1件は、シロクマ訴訟と呼ばれるもので、2011~2016年にかけて電力10社と電源開発を相手取って、公害等調整委員会への公害調停申請、東京地裁への提訴などをしたものです。シロクマやツバル住民などを申請者に含め、CO2排出は公害であると主張しましたが、却下や棄却といった結果に終わりました。[8]
その他の4件は、火力発電の建設について、その事業者や許認可をした政府を相手取った訴訟を提起したというものです。未だ継続中の訴訟もありますが、既に終わった訴訟では、どの訴訟でも、大気汚染や周辺環境への悪影響を訴えつつ、GHG排出による気候変動の進行による被害が主張されたものの、原告の主張は認められませんでした。
その理由としては、被告の行為によって原告が主張する権利が脅かされると言えるほどの具体的な危険性が認められないこと、火力発電の運用は政策的判断に委ねられるべきことなどが指摘されています。[9]
気候訴訟による企業への影響
気候訴訟の判決
既に判決が出ている369件の気候訴訟のうち、58%が気候変動対策を強化する方向の判決、32%が被告の行為を許容する判決でした。(その他は、どちらとも言えない判決。)[10]
このように、海外での訴訟では被告の不利益となる判決が出る可能性は低くないと言えます。
それに対し、日本国内で海外のように大胆な判決が出る可能性は高くありません。
その理由として、日本の司法は「消極的司法」と呼ばれ、国会や行政の判断に関与しない傾向があることがあります。また、特に環境分野においては、以下のような理由などにより、さらに大胆な判決の可能性が低くなっています。なお、行政訴訟のハードルが高いことから、日本国内では民事訴訟(主に企業に対する訴訟)が、海外よりも提訴されやすい状況にあります。
・環境権が憲法で保障されていないこと
・欧米のように、環境NGOが原告になる制度が存在しないこと
・原告適格が狭いこと(原告になるための法的条件が厳しいこと)
・環境影響評価制度における周辺住民の参加が弱い制度となっていること
なお、訴訟の提訴から判決が出るまでには、少なくとも数年はかかると考えられます。Urgenda対オランダ政府事件が最高裁判決を得るまでに約6年を要したことを考えると、控訴審、上告審と経るに連れて、期間が長くなっていくと言えます。
政策経由の影響
政府に対する訴訟であっても、判決によっては企業に対する影響が発生する可能性があります。訴訟によって政府に政策の強化等が求められれば、企業による気候変動対策の強化が間接的に求められるようになるのです。
世論経由の影響
また、たとえ判決で原告の主張が認められなくとも、世論を介して企業に影響を及ぼす可能性があります。そもそも、気候訴訟自体が、世論喚起を狙った戦略的なものである場合があります。そのため、世論喚起によって徐々に気候変動等の問題に対する意識が世論で高まれば、非常に間接的ではありますが、商品やサービスを提供する企業がそれに適合する必要も出てくるでしょう。
訴訟リスク
気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)では、気候関連リスクを気候変動による自然災害などの「物理的リスク」、脱炭素社会への社会経済の変動を捉えた「移行リスク」に分類されます。その移行リスクの一つである「政策・法規制リスク」の中に訴訟が含まれます。[11]訴訟によって直接的に損害賠償や対策の強化を求められることが、企業にとっての気候訴訟が持つ最大のリスクと言えます。
今後の動向
今後も、気候訴訟は増加する傾向が続くことが予測されています。また、その内容についても、さらに多様化する可能性が指摘されており、訴訟リスクを幅広く捉える必要があります。
また、近年になって注目されている訴訟として、公正な移行に関するものがあります。これは、政府による政策変更や企業による方針転換により影響を受ける労働者が中心となり、労働者が持つ権利を主張するものです。(例えば、Company Workers Union of Maritima & Commercial Somarco Limited and Others v Ministry of Energyなど)
公正な移行とは、“Just Transition”の和訳であり、気候変動対策による社会経済の変動の中でも、全てのステークホルダー、特に既存産業の労働者等に不公平な不利益を招くことがないようにすべきとする議論を指します。今後、2050年の脱炭素に向けた急速な社会経済の変動の中で、公正な移行を訴える訴訟が増加していくことが考えられます。
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参考文献
[1]阿部紀恵「気候変動訴訟の世界的動向」『国際法学会エキスパートコメント 』No.2022-6、2022年。
<https://jsil.jp/wp-content/uploads/2022/03/expert2022-6.pdf>
[2]著:UNEP、訳:田村堅太郎、森秀行、津久井あきび、滝澤元「排出ギャップ報告書2021(エグゼクティブ・サマリー):今そこにある温暖化危機-気候変動に関する約束がいまだ実現されていない世界(日本語翻訳版)」2022年、5ページなど。
<https://www.iges.or.jp/jp/publication_documents/pub/translation/jp/11872/EGR2021_ES_j_final_rev.pdf>[3]Climate Action Tracker“Temperatures”, 2022.
<https://climateactiontracker.org/global/temperatures/>
[4] Joana Setzer and Catherine Higham, “Global trends in climate change litigation: 2021 snapshot”, 2021.<https://www.lse.ac.uk/granthaminstitute/wp-content/uploads/2021/07/Global-trends-in-climate-change-litigation_2021-snapshot.pdf>
[5]UNEP, “Global Climate Litigation Report: 2023 Status Review”, 2023.
<https://wedocs.unep.org/bitstream/handle/20.500.11822/43008/global_climate_litigation_report_2023.pdf?sequence=3>
[6]一原雅子「人権が問題とされる気候変動訴訟においてカーボンニュートラルが持つ意味合い」『環境法政策学会誌』26号、2023年、37〜53ページ。
<https://www.jstage.jst.go.jp/article/kkhs/2023/26/2023_37/_pdf>
[7]気候ネットワーク「今なぜ、気候変動「訴訟」?(第3回)」2020年。
<https://kikonet.org/kiko-blog/4057/>(最終閲覧:2023年9月22日)
[8]気候ネットワーク「シロクマ公害調停と裁判 ”CO2排出は公害だ!”」2017年。<https://kikonet.org/archives/11929>(最終閲覧:2023年9月22日)
[9]各原告団Webサイト。
・仙台パワーステーション差止訴訟 原告団
<https://stopsendaips.jp/>
・横須賀石炭訴訟 原告団
<https://yokosukaclimatecase.jp/>
・神戸石炭訴訟 原告団(民事、行政の2件の訴訟を扱う。)
<https://kobeclimatecase.jp/>
[10]「世界の気候変動訴訟、判決の6割にあたる215件で勝利/各国政府が対策迫られる(3)」『Tansa』2021年10月7日。
<https://tansajp.org/investigativejournal/8484/>
[11]鈴木大貴「気候変動関連訴訟の動向と損害保険に対する影響 -賠償責任リスクを中心に-」『損保総研レポート』140号、2022年。
<http://www.sonposoken.or.jp/reports/wp-content/uploads/2022/08/sonposokenreport140_2.pdf>
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