Last Updated on 2024年3月18日 by Yuma Yasui

気候変動と人権:企業の訴訟リスクにもなる無視できない問題(Part1/3)

2019年12月20日、オランダ最高裁判所はオランダ政府に対して、2020年の温室効果ガス削減目標の上方修正を要請する最終判決を下しました。最高裁の判決の根拠となったのが、欧州人権条約の第2条(生命に関する権利)と第8条(個人の生活や家庭生活に関する権利)です。

気候変動訴訟は過去数年で倍増しており、その内容の内訳として、グリーンウォッシング、政府の公約の不履行、そして気候変動による基本的人権の侵害をめぐる訴訟が増えています [1]。

訴訟にまで発展しうる気候変動と人権の問題について、全3回に分け、人権の考え方の基礎、世界の人権問題と気候変動の関係性、そして気候変動の責任の観点から説明します。Part1にあたるこの記事では、人権の基礎である国際人権章典と人権の5つの特徴、そして気候変動が脅かす基本的人権について解説します。

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現代の人権の基礎:国際人権章典

人権は西欧を中心に発展してきた考え方です。今現在、私たちが生きている21世紀でいう”人権”の源泉は、第二次世界大戦後、20世紀中頃に制定された「国際人権章典」にまとまっています。国際人権章典とは、普遍的な人権基準を記した「世界人権宣言」と、それに法的な拘束力を持たせた「国際人権規約」の2つを合わせた総称です。

世界人権宣言は、1948年12月10日、パリで開催された第3回国連総会にて「すべての人民にとって達成すべき共通の基準」として採択されたものです。これ以来12月10日は「国際人権デー」として世界中で記念されています。

1966年の国連総会では、この宣言に法的拘束力を持たせるため、二つの人権規約「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」(いわゆる、”社会権規約”)と「市民的、政治的権利に関する国際規約」(”自由権規約”)が採択されました。

世界人権宣言の第1条と第2条では、「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」[2]、「すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる」[2]と謳われています。

人権の特徴:人権は定義できない

人権文書は国際的にも多く制定されている一方で、人権の普遍的な定義”は存在しないと考えられています。代わりに、人権は5つの特徴を記述することができるとされています。

① 人権の固有性

人権は、人間であれば誰しも生まれながらにして備わっている、という概念です。人権は国家などの第三者から後天的に与えられるものではありません。国家や雇用者などの第三者は、人に対して人権を”与える”こともできなければ、人権を”奪う”こともできません。できるとすれば、人権を”保護する”もしくは”侵害する”という行為です。

② 人権の普遍性(平等性)

全ての人は”同じ”人権を持っているという考え方です。先の世界人権宣言に「すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見」や社会的地位などによって差別を受けないと謳われている通り、人のどんな属性・特性にかかわらず、人権の程度に差がないということです。

③ 人権の不可侵性

人権の不可侵性とは、人権を”分け与える”ことができないという考え方です。人は、自分の権利を行使しない、主張しないということはできても、自分の人権を捨て去ることはできません。

例外的に、民主的社会をまもるために、例えば表現の自由や移動の自由などに対して、どうしても必要な制限を法律で決めることは認められますが、その場合にも、生命に対する権利や、犯罪と定められていないことをしても罰せられない権利、思想、良心そして宗教を信じる自由(すなわち、内心の自由)などについては制限することはできません。

④ 人権の不可分性

この概念は、全ての権利には優先順位が存在しないことを意味します。個々の権利の重要度合いに序列をつけることができないということです。例えばある状況においては、権利のバランスを取り、どの権利を保護・促進するのが最善であるか慎重に決定しなければならない状況や場面はあるかもしれませんが、他の権利よりも本質的に重要であるということはありません。

⑤ 人権の相互依存性

人権の相互依存性とは、ある一つの権利の享受は、ほかの権利の享受とも繋がっているということです。例えば必要な医療を受けられない子どもがいた場合、この子どもは健康への権利が認められないことを意味し、それと関係して、学校で学ぶこと(教育を受ける権利)が困難になり、大人になってからもやりがいのある仕事を見つけること(働く権利)、自分の意見を表明すること(表現の自由の権利)、政治生活に貢献すること(投票権)、などができなくなります。これらの権利は相互に依存していて、ある権利を享受することで他の権利も享受できるようになっています。

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気候変動が脅かす人権

気候変動は、様々な人権を脅かします。ここでは、代表的な3つの権利を紹介します。

生命への権利

私たちは誰しも、不当に生命を奪われない権利を持っています。猛暑や山火事や豪雨など、気候変動による気象災害は、人々の生存権、生命への権利を脅かします。多くの場合、このような異常気象は各地域の要因によって被害のレベルが異なります。

異常気象によって多くの犠牲者を生んだケース:

  • 2003年 ヨーロッパで発生した熱波により少なくとも3万人が犠牲に
  • 2013年 フィリピンで発生した超大型台風「ハイアン」の影響で約6,300人が犠牲に
  • 2018年 カリフォルニア州で発生した山火事によって100人近くが命を落とし、同年にギリシャでも同程度の人数が犠牲に
  • 2019年 モザンビーク近辺(マラウイ、ジンバブエ)で発生したサイクロンにおいて1,000人以上が犠牲に

また気候変動は、後述する水と衛生への権利や健康への権利、食料に対する権利をも脅かすことで早期死亡へ繋がります。これは、先述の「人権の相互依存性」の例の一つです。ある一つの人権が脅かされている時は、同時にほかの人権も連鎖的に侵害されていることがあります。

異常気象によって発生する犠牲者の他に、世界全体で年間40万人の早期死亡が気候変動と関連していると言われています。世界保健機関(WHO)は、2030年から2050年にかけて、気候変動と関係して発生するマラリアや、栄養失調、下痢や、熱ストレスなどが原因で、年間25万人の死亡が発生すると予測しています [3]。

国連人権委員会は2018年の「一般的勧告」という文書で、生命の権利を守るためには、国家が環境悪化に対処するための適切な措置を講じることが必要であると結論づけました [4]。一般的勧告とは、厳密な意味での法的拘束力はありませんが、そこに示された見解は、条約の規定に関するひとつの権威ある解釈で、政府や裁判所が正式に参照することができるものです。

健康への権利

気候変動は、健康への権利も脅かします。「健康への権利」とは、単に「健康な状態でいる権利」だけを指すのではなく、「健康に不可欠な条件となるものへのアクセスを要求する権利」、すなわち医療や安全な水、適切な衛生設備、安全な労働環境、健康に関する情報や教育等といったものへのアクセスを要求する権利をも含みます。

2015年の「健康と気候変動に関するランセット委員会」は、過去半世紀にわたる経済開発とグローバルヘルスの成果が、気候変動によって損なわれる可能性があるとしています [5]。コロナ禍による開発指数や健康レベルの低下と同じような現象が、気候変動によっても引き起こされる可能性があることを意味します。

気候変動による健康への主な影響は以下の通りです:

  • 強烈な熱波や火災による負傷、疾病、死亡のリスクの増大、特に高齢者や屋外や気候管理の不十分な環境で働く肉体労働者にとってのリスクの増大 [6, 7]。
  • コレラなどの下痢性疾患や、マラリア、ジカ熱、特にデング熱などの媒介性疾患など、食物や水を媒介とする病気のリスクの増加 [8]。
  • 気温の上昇や降雨パターンの変化によって疾病対策の努力が損なわれた場合、2050年までに2億人以上がマラリアのリスクにさらされる[9]
  • 貧困地域での食糧生産の減少による栄養不足・低栄養状態の増加 [9]。

十分な食料に対する権利

食料に対する権利とは、心身にとって十分な栄養素を含み、有害物質が含まれない食料に対して、経済的にも物理的にもアクセスできることの権利を指します。


気候変動は、何百万人もの人々の食の権利を脅かします。気候が不安定になることで、第一次産業を脅かし、畜産や農作物、漁業や水産養殖などの生産性を低下させます。日本も決して他人事ではなく、国内の海苔の生産量が減少傾向にあるなど、影響は顕れています [10]。気候変動は水陸どちらの生態系も変化させるため、食料の入手可能性に影響を与えます。

2020年にアフリカの角と呼ばれる地域(ソマリア、エチオピア、ケニヤ、スーダン)を襲ったイナゴの大量発生による農作物や飼料への被害は、この典型的なケースです。


剰え、気候変動は、食材の栄養を変化させることにより、食糧・栄養不足をもたらします。大気中へ排出される炭素の増加によって、タンパク質、亜鉛、鉄、などの含有量が低下するという報告がIPCCから出されています [11]。また世界食糧計画(WFP)は、気候変動の影響により飢餓や栄養失調に苦しむ人の数は2050年までに20%増加すると予測しています [12]。

さらに、地球温暖化による世界平均気温の上昇が2℃の場合、現在よりも1億8,900万人多くの人が食糧不足に悩まされ、ひいては平均気温の上昇が4℃にまで達した場合、この数字は18億人にまで及ぶと言われています [13]。


こうした気候変動による世界的な食糧不足の増大は、地域によって被害の程度に差が出ます。例えばサハラ以南のアフリカと南アジアでは、農業や漁業や畜産業への経済的依存度が高く気候変動への適応策に利用できる資源が少ないため、より大きな影響を受けます。


この他にも気候変動は、発展の権利、水と衛生への権利、適切な住居への権利など、国際的に認められている様々な権利を脅かします。

まとめ

第二次大戦以降、国連による世界人権宣言を皮切りに、人権文書は世界中で制定されてきました。その文書は概ね共通して、人権の5つの特徴(固有性・普遍性・不可侵性・不可分性・相互依存性)に言及しているとされています。また気候変動は、人々の基本的人権を脅かしてきており、その傾向は今後深刻化する旨の報告が複数の機関から出されています。

次回Part2では具体的に、気候変動の影響を受ける人々、および世界の人権問題と気候変動との関係性について見ていきます。

#人権

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参考文献

[1] 国立研究開発法人 国立環境研究所(2021)「 国連環境計画、気候変動をめぐる訴訟が急増と報告」URL:https://tenbou.nies.go.jp/news/fnews/detail.php?i=31208

[2] 外務省「世界人権宣言(仮訳文)」URL:https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/udhr/1b_001.html

[3] WHO (2014) “Quantitative risk assessment of the effects of climate change on selected causes of death, 2030s and 2050s”

[4] UN Human Rights Committee (2019) “International Covenant on
Civil and Political Rights: General Comment 36” UN Doc. CCPR/C/GC/36.

[5] Lancet Commission on Health and Climate Change (2015) “Health and climate change: policy responses to protect public health”

[6] IPCC (2014) “Fifth Assessment Report: Report of Working Group II”

[7] OHCHR (2016) “Analytical Study on the Relationship Between Climate Change and the Human Right of Everyone to the Enjoyment of the Highest Attainable Standard of Physical and Mental Health” UN Doc. A/HRC/32/23.

[8] OHCHR (2019) “Safe Climate: A Report of the Special Rapporteur on Human Rights and the Environment” UN Doc. A/74/161. URL: https://www.ohchr.org/Documents/Issues/Environment/SREnvironment/Report.pdf

[9] IPCC (2014) “Fifth Assessment Report: Report of Working Group II”

[10] 日経BP(2018)「地球温暖化で日本のノリ養殖がピンチ!謎の多い生態にメス、高水温耐性のある種を開発」未来コトハジメ URL: https://project.nikkeibp.co.jp/mirakoto/atcl/food/h_vol29/

[11] IPCC (2020) “Climate Change and Land” URL: https://www.ipcc.ch/srccl/

[12] World Food Programme (2018) “Two minutes on climate change and hunger” docs.wfp.org/api/documents/WFP-
0000009143/download/

[13] World Food Programme (2017) “What a 2°C and 4°C warmer world could mean for global food insecurity” URL: wfp.org/publications/2017-2-
and-4-degrees-infographic

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Author

  • 西家 光一

    2021年9月入社。国際経営学修士。大学在学中より国際人権NGOにて「ビジネスと人権」や「気候変動と人権」領域の活動を経験。卒業後はインフラ系研究財団へ客員研究員として参画し、気候変動適応策に関する研究へ従事する。企業と気候変動問題の関わりに強い関心を寄せ、リクロマ株式会社へ参画。